バッハのマタイ受難曲の歌詞の中で気になるところを新約聖書の原典で確かめたりするのがちょっとした楽しみ
第53曲、捕えられたイエスが兵士たちに侮辱され、そして O Haupt voll Blut und Wunden の印象的なコラールが続く、マタイのなかでも強く印象付けられる場面のひとつ
ここで、兵士たちはイエスの衣を剥がし紫の外套を着せる
und zogen ihn aus und legeten ihm einen Purpurmantel an
ところが、聖書の当該箇所(マタイ 27章28節)では兵士たちがイエスに着せるのは紫ではなく赤い外套
そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ
(新共同訳)
καὶ ἐκδύσαντες αὐτὸν χλαμύδα κοκκίνην περιέθηκαν αὐτῷ
χλαμύδα κοκκίνην が 赤い外套を にあたる部分だが、
ヨハネの福音書(19章2節)では
兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ
(新共同訳)
καὶ οἱ στρατιῶται πλέξαντες στέφανον ἐξ ἀκανθῶν ἐπέθηκαν αὐτοῦ τῇ κεφαλῇ καὶ ἱμάτιον πορφυροῦν περιέβαλον αὐτὸν
ἱμάτιον πορφυροῦν 紫の服を となっていて、色だけでなく着ているものも χλαμύδα と ἱμάτιον と異なっている
χλαμύς クラミュス (とくに兵士の着る)外套、マント、χλαμύδα は単数対格
ἱμάτιον ヒーマティオン (一般的な)上着、1枚の布から出来たゆったりした衣服、ローマの toga に相当、中性名詞なので主格と対格が同形
という違いがある
ピラトの兵士の着る赤いマント(ローマ軍の象徴でもある)を王の着る紫の衣に(紫は高貴な色とされた)、荊で編んだ冠を王冠に、葦の棒を王笏に見立ててイエスを「ユダヤ人の王」と呼んで侮辱または揶揄している場面とすれば、マタイの記述の方が蓋然性があるように思える
バッハがマタイ受難曲で福音書の記述にもかかわらずマントの色を赤ではなくヨハネと同じ紫としているのは、マタイの初演が1727年、ヨハネがそれに先立つ1724年とされていることを踏まえると、後から作曲したマタイをヨハネに合わせたと考えられないだろうか
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